差別か区別かの基準

差別は許されないが、区別は許される。その場合、どのような基準で決めれば良いのだろうか。それは、グループに分けた結果、そのグループ間での差異とグループ内での差異が、グループ間の方が明らかに大きい場合は区別と言える。しかし、それだけでなく、悪意があるかどうか、合理性に則ったものかどうかも重要である。

基礎科学の中の生物

生物は基礎科学の分野として扱われることがあるが、少々特別扱いかもしれない。なぜなら、化学や物理の存在は約135億年、それに対して生物は約38億年と歴史が浅いからだ。とはいえ、人間も生物で、その程度の規模の歴史なら、差があろうが重要ではないともいえるかもしれない。

「老い」への価値観

世代間対立のある国や、資本主義に偏りの強い国では、老人への扱いが雑になりがちである。また、部族によって老人の扱いが異なるが、老人は自然災害への対処などの知恵を持つため、重宝されることもある。現在、定年制度があるが、彼らは若い人たちよりも利他的で、知恵を持つことが多いから、労働意欲のある人達は働いた方が社会には良い。

多くの分野に手を出すべきか

専門であるべきかオールラウンダーであるべきかは常に意見が分かれるが、基本的には専門性を高めた方が良い場合が多い。オールラウンダーを目指すのではなく、専門と少しの専門外を勉強することで、複数の視点を持つのが良い。例えば経済に詳しい人が歴史を勉強すれば、戦争の時に経済の特定のパターンが現れるのを発見するかもしれない。その時には歴史や戦争の専門家と協力することで提言ができる可能性がある。

母の強さ

世界中、どこに行っても母親は強い。特に赤ん坊に関しては、模型であってもぞんざいに扱うのを見れば、明らかに女性の方が強い嫌悪感を示す。また、次世代のことを考えた政策を打ち出すのも女性の政治家に多い。子供のことになると本能的なものが非常に強く表出するのだろう。

発明は必要の母

「必要は発明の母」という。確かに、何かが必要な時にそれを実現しようと努力し、見事発明に至ったケースは多くある。しかし、多くの発明は偶然によるもので、時代などの環境によって採用され、それを機に社会が変わっていく。そして、それが広まった後は、それ抜きでは不便な世の中になる。多くの場合、発明は必要の母である。