カテゴリー分けをやめたい

虹は何色だろうか。日本人なら7色と答えるだろう。しかし、これは世界共通ではない。5色、6色、8色などの国がある。

このように。ヒトはグラデーションの中にもで区切りをつけ、分けて意味付けを行う。

時間、思想、特徴なども、この世のすべては連続的であるが、人は記号を使って物事を理解するため、しっかりと物を定義してカテゴリー分けしがちである。

特に西欧では顕著で、物を定義するとき、彼らはそのものを切り取って独立したものとして扱い、カテゴリーを考える。一方、その他の地域、例えばかつての日本などでは、世界のすべては連続的であり、それが無限に続いているという認識であるから、もやもやとした定義になりがちである。このような考え方は近代化とともに西欧に近づき、今まさにしているように、カテゴリー化して考えるようになった。

西欧の考え方が科学の発展を促してきたのは事実だが、これからはどちらかというとカテゴリー分けしない生き方をしたい。例えば、仕事とプライベートの境界はしっかりと定義せず、どのようにいきるか、という問題にした方が、自然なような気がする。