人間は記号でものを見ている

人間は他の動物と比べた時、おそらく情報処理の仕方が少し変わっている。記号を使うのである。概念というものが存在し、あらゆる刺激や文字を記号化して処理する。そのようにして、多くの情報を圧縮し、生きている。そして、その能力は成長とともに獲得していく。

10歳まで過ごした街を10年ぶりに訪れた時、子供の頃とはずいぶん違った印象を受けた。というのは、街が小さく見えたのである。一つの原因は視点が変わり、多くのものを一度に見渡せるようになったことだろう。そして、もう一つが概念の確率だろう。子供の頃は漠然としてそのまま見ていたものが、大人になってからは記号としてみることで、子供の頃のわくわくした感情がなくなってしまった。

例えば、家の近くに麦工場があったのだが、それを「麦工場」として認識したのは大人になってからであり、子供の頃はその中がどのようになっているか、無限に想像できたが、今はある程度の想像にとどまり、安心してしまう。

このようにして記号化することで安心するが、その過程で大事な何かが抜け落ちてしまっているような気もする。複雑なものをそのまま見る努力もしていきたい。