タブーと神聖は紙一重

タブーと神聖は反対の意味に思える。タブーは望ましくないことで、神聖は望ましいことであるからだ。しかし、「特別なこと」という点においてはこの2つは共通しており、全体で見ると紙一重である。

食の観点からいうと、人の体を食べるのは禁忌である。しかし、キリスト教の儀式では、パンをキリストの肉、ワインや水をキリストの血の象徴として食べるものがある。この行為は神聖なものである。

また、日本でも、近親相姦はタブーであるが、それをする神様や人の物語が今も神聖なものとして認識されている。

このように、状況によってタブーは神聖になりうるし、神聖はタブーになりうる。だからこそ、そのような行為をするときには慎重になる必要がある。タブーをちらつかすことは、神聖な儀式を演出したり、慣れていないことを慎重にさせる人類の知恵なのだろう。