絶対的な無駄は存在しない

人は生きることに意味を持たせることはできるが、人が生きる普遍的なな意味はない。それは地面に這うダンゴムシが生きる意味がないのと同じである。

それと同じことが「無駄」についてもいえる。「無駄」とはなくてもよいものであると人から認識されている状態である。だから、例えば、ある人が「Aは無駄である」といっても、他の人には必要である場合がある。また、さらに別の人からしたらどうでもよい問題であるかもしれない。無関心である限り、「不必要」であり、「無駄」ではない。

このように、人によって無駄だと思っても、それは普遍的なものではない。