テクノロジーは人を極端にする
科学技術は多くの変化をもたらし、どんどん人々の生活が便利になっている。
しかし、テクノロジーは人を極端な方へ導いてしまうことが多い。
例えば、アメリカにおいて、パソコンを用いた教育により、地域による教師の質の格差が解消され、学力向上が期待された。そしてパソコンを配り、オンラインで授業を受けられるようにしたが、平均学力はほとんど変わらなかった。
そこでなにが起こったかというと、勉強に意欲がある生徒はテクノロジーによって、どんどん学力が伸び、勉強に意欲のない生徒は、そのパソコンでひたすらゲームをしたのだ。
また、SNSの普及により、自分と意見の合う人や自分を認めてくれる人のみと付き合えるようになっているし、そうしている人も多い。これは自ら視野を狭めている。ネットは人をつなぐようになったが、そこから全く知らない人と交流することはほとんどない。
結局は信頼が重要で、見ず知らずの人と会いたい、という人は少ない。
このように、テクノロジーはいつでも人を良い方向に導くとは限らず、極端にするような傾向がある。テクノロジーを使うのは人間であるのだから、人間のためにあるべきである。そこで問われるのは、利用する人の人間性や自制心である。