知識は発想を邪魔するか

人間は知りたがる生き物である。そのために色々考え、新たな発見をするには独特の考えが必要とされる。その際に疑問なのが、知識はつければつけるほど良いのか、それとも発想を促すために学ぶ知識量は制限した方が良いのか、ということである。

あまり知識をつけすぎると、間違っていた場合に大変だ、という声がある。確かに間違った知識をつけるとそれが間違いだと判明したときに、正しい知識に矯正するのは大変かもしれない。しかし、知識をつけ、自分の頭で考えるのは、間違っていたとしてもためになるのではないか。また、多くの知識をもつことで、多くの視点をもち、物事を考えられるようになる可能性もある。

また、子供が自由な発想をするが、大人ができない理由として、知識のつけすぎだという意見もある。筋肉をつけるとパワーがつくが、柔軟性が失われるようなものだ。確かに子供は自由な発想をするが、大人がそれができないのは知識以外に問題がある場合が多いと思う。それは遠慮や、自分が間違っている可能性を考慮するがために、発想を阻害しているのではないだろうか。

反対に、知識をつければつけるほど、これまで人がしてこなかった発想ができるという人もいる。知識と知識を結び付け、まだなされていない研究や実験を行って新たな発見が望めるという。確かにそうだが、これには知識だけでなく、大局的に物事を見る力と、知識を結び付けるセンスも問われる。

このように、真理を見つける上で、知識をつけるのは基本的には良い事ではないだろうか。ただし、新たな発想を生み出すには、知識について十分な考察を行い、別の知識と結び付けたり、その考えに自信をもつ必要があるだろう。